



東京(T)と沖縄(O)をつなぐ(NE)!!そして、面白いことを発信していこう!
そんな想いを込めて造ったお店です。因みにお店のロゴは、ヤシの木と太陽と海をデザインしてつくりました。早いもので創業16年目です。
生まれは福岡県久留米市。実家は佐賀県。海が好きで海洋学を学びに沖縄の大学へ進学4年間を沖縄で過ごしました。
サークルは、超体育会系のウインドサーフィン部!先輩には映画にもなった飯島夏樹さんもいました。
海一色の大学4年間でした。
余談ですが、入学はバブル絶頂の1989年(平成元年)僕も先輩達とやっていましたが学生イベント企画サークル全盛期、そしてこの頃はコザ(沖縄市)が元気で500円で朝まで遊べるDISCOが人気で地元と基地の米兵達のミックスされた文化がとても刺激的でした。
入学式の日にトラックの荷台に20人くらい詰め込まれて行った記憶があります。
あとは、リゾート地沖縄!がクローズアップされはじめた時期でもありました。
開放的な大学4年間を過ごしましたが、バリバリ仕事をしてみたい!
という気持ちもあり就職で東京へ!
自分が体験した沖縄の文化を発信したい!をテーマに大手広告会社を目指すも敗退。
小さなイベント企画会社に就職しました。
その後、色々な縁もあり早稲田大学の学生サークルを前身とする広告会社に転職。
この会社で創業のきっかけとなる上司(副社長)と出会ったのです。
その上司は実家が東京日本橋で飲食店を営んでいて、本人も自分で飲食店を起業したい!
そんな夢のある上司でした。
この上司とは仕事もプライベートも話をする機会が多く、しかも海好き!「沖縄で出店しましょー!」を何度もささやいていたらなんと!
会社で飲食事業部をつくり沖縄で出店!となったのです。
TONE(トーン)誕生です!!
当時僕はまだ27歳。大学の人脈もあったので場所は、大学近辺で大学生をターゲットにお店を創ろうとしていました。
しかし、場所は見つからず、妥協して少し離れた場所で出店しました。
そのせいか最初は営業的にも苦戦し、おまけに上司は半年後東京に帰ってしまいました。
暫くは、バイトの後輩に手伝ってもらいのんびり地域密着で営業していました。
そんなに忙しくはなかったけれど、ボチボチ常連さんもついてボチボチなんとかやっていました。
そして1年半後狙ってた物件が空いたのです!
速攻1週間で移転し、暫くしてその当時東京で流行っていたワンコイン(500円)バーを沖縄流にアレンジ350円BARにリニューアル!
連日満員の繁盛店に生まれ変わりました。
移転立ち上げを手伝ってくれた素晴らしいスタッフにも恵まれました。
そして、勢いに乗って2年後に出店したのが現在のTONE琉大北口店です。
この頃正式に会社からも離れ独立しました。
大学から少し離れている一戸建ての2階建て。
東京にいたころよく行ってた三宿の春秋みたいな店にできるといいなで出店を決めました。
1階は建築事務所、2階はアパートの物件を改装して南国風の店を創りました。





1階席はゆったりバリ島オーダーメードのソファーの個室とカウンターとテラス。
カウンター席…すわり心地の良さとデザイン性を追求してオリジナルで制作した
バリ風のハイカウンターソファーです。
スタッフとも会話のしやすいオープンな2席。2人の空間を楽しめる2席の合計4席となっております。
1階ソファー席…ゆったりのんびりをテーマに2名、4~6名、6~8名の個室のソファー席となっております。
照明もアジアン!シーグラスという井草に近い耐久性の強い素材でできたアジアンなソファーです。週末は人気のためなかなかあいていません。
1階テラス席…外の風を感じることのできるテラス席。壁は、一面琉球石灰岩にハスの花をイメージした可愛らしい照明。ソファーは、ビーチリゾートとかで流行中のゆったりかっこいいデザインです。
1組限定の贅沢なテラス席です。6~8名くらい座れます。個人的に僕はこの席が1番好きです。
2階テラス席…ハワイアンなテイストで解放感のある2階テラス席。タンポポをイメージした大き目の照明にグリーンペパーミントのペイントが少し。こちらも1組限定のテラス席です。4名まで座れます。カップルに人気です。
2階席…プロジェクターもあり10~60席くらいまで自由にアレンジできる団体席。遊び心満載の店内です。
クラブにしたり、結婚式の2次会も可能です。
こんな感じの店内ですが、少しずつ改装を重ねリゾート感を感じる店造りを
テーマに今日も元気に営業しています。

ホームページ立ち上げに際し、希少価値のある泡盛や食材に着目したメニュー開発に力をいれていくことにしました。
泡盛マイスターの資格もとる予定です。
幅広い年齢層のお客様が楽しめるお店に向けて精進していきます。